アトムの子になり損ねた子供

アトムへの伝言、という公演を昔扉座でやっていたらしい。
伝聞形なのはもちろん見てないから、というかその頃は芝居にすら興味がなかったからだ。
こんなに舞台に興味を持つなんて、半年前の自分にはとても考えられなかっただろう。
この横内氏の脚本を使って他の様々な劇団でもやっているようなので
いつか見る機会に恵まれたらと思う。


で、そのアトムへの伝言は見てないのだが「アトム」という言葉で思い出した曲があった。
山下達郎の「アトムの子」である。
「どんなに大人になっても 僕らはアトムの子供さ」という曲で、
当時はイカしたオッサンが歌ってるという認識で、
それが山下達郎だなんて全く知らなかった。
ただ、彼が歌っていたどこか切なく響く曲は小学生だった自分にもすごく印象的だった。
どうして当時音楽に縁がなかった自分がこんな曲を覚えているのか。
それは当時自分がなかなかの"手塚治虫マニア"だったからだ。
火の鳥太陽編で手塚治虫に夢中になり、ひたすらに漫画を揃えたあの頃。
今でも本棚には丸一段『手塚治虫ゾーン』がある。
鉄腕アトムのミドロヶ沼は作画があまりに酷くて日本では放映されなかったとか
コバルトは漫画では弟だがアニメでは兄だとか、そんな知識でいっぱいだった。
その時ならほとんどの手塚キャラクターの名前を言えたと思う。
そしていま調べて初めて知ったのだが、当時私は10歳だった。
1989年、2月9日に漫画の神様が天に帰った
約10ヶ月後に生を受けた私が10歳になった年だった。
十回忌ということで色々取り上げられていたのかもしれない、と今になって思う。
だがそれにしたって、不思議な(そして幸運な)巡り合わせだ。


アニメ『ブラック・ジャック』も『アストロボーイ鉄腕アトム』も
劇場版『どろろ』も私は見ていない。
設定だけ利用した別作品」と割り切れるほど
まだ私は大人ではない。損してるだろうとは思うが。
まぁ小さい頃から「手塚治虫はアトムが嫌いだから*1僕もアトムは読まない」とか
言っていたマセガキだったので仕方ない。
と言うか、今これを書きながら何故手塚作品の「二次創作」を見ないかわかった。
履き違えられたまま都合よく語られる"手塚治虫"に吐き気がするからだ。
結局手塚治虫本人が産んだ作品しか信用したくないんだろう、自分は。


ちなみにそんな自分が一番好きな作品は「バンパイヤ」。
NHK手塚治虫についてやっていた番組で、
アニメとドラマの合成を見た時には本当に感動した。*2
漫画でウェコ編が未完に終わっているのは本当に残念である。
久しぶりに読み返してみたが気になって仕方ない。
ロックこと間久部禄郎*3の悪役ぶりは壮観だった。
私のオオカミ好きの原点はここだと信じている。余裕があったらDVDはぜひ欲しい。
そしてもうひとつ好きな作品を挙げるなら「未来人カオス」だろう。
当時はひたすらムーザルの可愛さに目が行っていたが、よくよく考えるとすごい話である。
マユの話にはぞっとしたが切なくもなった。
ちなみに今揃えたいのは「七色いんこ」「ミッドナイト」「きりひと讃歌」。
最近は漫画に回す金も減ってしまったが、なんとかこれは揃えたいなと思う。
機会があれば「人間ども集まれ!」「A・I」も読みたい。
今になってわかることも沢山ありそうだ。


生まれてくる時代を間違えた、と思うことは少なくない。
だが、私が生まれた時から手塚治虫は「漫画の神様」で、
だから今でも私の「神様」で居続けてくれる。
私たちはアトムの子になり損ねた子供だが、だからこそ
今にしか見れないものを見てやらなければいけないのかもしれない。
手塚治虫が考えつかなかったもの、それは携帯電話だという。
アトムは黒電話を使っていたのだ。
その携帯電話を使って、私はいまこのエントリを打っている。今を生きている。
前に進まなくては、と思う。

*1:手塚治虫はアトムを使って文明の進歩の悲しさを描こうとしたのに
全く逆の受け取られ方をしてしまった故

*2:そして時を経た今、その時見た精悍な少年が素敵な紳士になった姿を
自分が追いかけていることに何やら不思議な感情を抱いている

*3:相棒の浅倉禄郎はもしやここからとってはいないだろうかと私は勝手に考えている